MicroCADAM 今昔話

 IBMは30年前はマイクロソフトを下請けに使う巨大な会社であった。その頃、マイクロソフトにDOSの開発を下請けとして使ったのが、今となっては運を逃したのか。IBMにとっては当時利幅の薄いパソコンなんかはあまり眼中になく、利幅の高い大型コンピュ-タに注力してしまった。当時の最初のパソコンOS、32ビットOS、OS/2などと言っても老人でないと知らないであろうが。今のWindowsのはしりのような使い方が出来る、あの当時としては画期的なOSであったが、何しろパソコンの能力が低すぎた。巨大なOSを立ち上げるだけでも数分かかるようなしろものだ。またLANも出来るシステムであったがト-クンと名付けられたLANのケ-ブルの太さは1センチくらいあり、ハブに相当するものは重く大きな弁当箱よりでっかいしろもの。USBなどという規格はなくSCACIが全盛。SCASIが消えたのは今でも残念に思う。メモリ-を使わないのでパソコンに優しい。でもケ-ブルの入出力のコネクタ-の形状は幅5センチくらいあり、やはり現在では無理な規格かな。いや、USBでもどんどん進化しているから小型化出来たのにな。 

 その当時のマイクロソフトから出されたDOSは、当時のパソコン能力にはなんとかフィツトしたのか、日本でもNECの98系のパソコンがかなり普及しはじめた。でも今となってはかなり使いづらいものではあるが。購入ソフトを起動させるためには、自分でautoexect.batとかいう簡単な起動DOSパッチをつくらるばならない。あまりユ-ザ-メモリ-を使うと動かなくなるか落ちる。そこでメモリ-のふりわけとかでconfig.sysの設定を試行錯誤でいじる。趣味として遊びならいいのだが。その当時、DOSの文章作成ソフトで一世を浴びたのが一太郎。当時で5万くらいしたのではないだろうか。なかなか高価なもので簡単には購入出来ない。その当時のソフトにはプロテクトがかけてない。ということで、著作権の裏をついた商売、ソフトの貸し出し屋が流行った時代である。一応、その場合、店は顧客に売却、後日買い戻すという商売だ。(そうそう、当時の表計算ソフトは LOTUS だ。まだEXCELは無かった。この当時の表計算ソフトはプリントにかなりの技術がいる。もともとDOSのプリントアウトはなかなか難しいのだが、表計算の出力はそれに輪をかけて難しかった。しばらくして破竹のマイクロソフトに買収されてしまったが) しかしながら、300万もするCADソフトには、残念ながら厳重なハ-ド的プロテクトが付いていた。さすがIBM。ということで、プロッタ-を入れると600万近い大枚を叩かないと、MicroCADAMのユ-ザにはなれなかった。 

 この当時は今のインタ-ネットに相当するパソコン通信が流行った。私も面白そうだからやった口だ。モデムを使って電話回線経由で通信するのだ。今のヤフオクみたいな、物の売買が出来る掲示板があった。ここで中古のTTLカ-ドとか購入した記憶がある。何しろ1枚3万以上もするので中古で5千円くらいなら安いとか思っちゃう。そうそう、その当時でもイギリスは既にインタ-ネットが末端市民でも利用されていた。たまたまパソコン通信でやりとりした英国駐在員はインタ-ネットを使用していた。そうそう、外国とのやりとはひらがなや漢字が使えない、英語で連絡しろっとか。おいらは、ロ-マ字が使えるではないかと言い返した。今思うと笑っちゃう時代でした。

 これはその後10年くらい経たときの話、ちょうどWindows95が出た頃の話であるが、当時の私と同業の山陽の方の事務所の経営者と知り合った。パソコンにも詳しく、一緒に遊んだ仲だったが、その当時バブルがはじけ設計業界もどん底。彼も一計を図って、アルバイトに注力した。昼間は社長業、夜中はアルバイトに注力。彼はUNIXのワ-クスティションにも詳しく、同業の知り合いのワ-クスティションのメンテを夜中のアルバイトとした。当時のUNIXマシ-ンは、当時のパソコンより一桁違う価格だった。それにしても彼の豪語にびっくりした。なんと夜中のアルバイトで数千マン稼ぐとか。そのアルバイトでなんとか数十人の従業員を支えているとのたまわった。当時、IBMを筆頭にNECや富士通、日立が、どれほどメインフレ-ムで荒稼ぎしていたか想像できる。

 話を戻すと、当時のDOSのパソコンにはユ-ザ-メモリ640Kという制約条件があった。IRQも数が限定されていた。鍵盤PFKやスタイラスを使うと、COMポ-トが2個いる、さらに当時のプロッタ-出力もCOMポ-トから出力。(RPD出力しない場合であるが。)ということで、この条件ではスタイラスを削るしかしかないとか悲劇的な問題がいろいろあった。 それとモニタ-の解像度。当時の汎用パソコンはVGAのノ-マルモ-ド640×480の解像度。これではCADでは作図範囲が狭くて仕事にならない。当時のDOSでもハイレゾという1024X768の解像度を得られるパソコンがあった。ハイレゾ対応のビドオカ-ドを積めば。これはOS/2でも同じ。しかしハイレゾパソコンはほとんど販売されていなかった。ということで、パソコンを自作し、ハイレゾのビデオカ-ドを装着するとかいうことをしないといけない。CADAMが指定するバカ高いパソコンを購入すればいいのだが?ビテオに関しては、当時のパソコンのスペックは今の百分のⅠか千分のⅠくらいしか能力がない。これで一番の問題は再描画をかけた時。再描画をかけるとパラパラと画像が出てきて30秒くらいかかる。ということで、正直当時のパソコンCADは使い物にならなかった。再描画速度がなんとか満足出来る程度になってきたのはCPUがDX100以降であったと思う。ので大企業はバカ高いUNIXマシ-ンを使用しざるをえなかった。そして零細設計事務所には使い物にならないパソコンCADを使用させてCADデ-タ-を要求するという悲しい期間がしばらく続いた。こういう問題はその後3D CADでも繰り返された。

 ちょつと面白いデータ-、知り合いのHPで見つけました。私たちが昔、MicroCADAM使い始めてしばらくした頃のハードの値段です。今と比較すると1桁~2桁違うようで、昔はパソコンメ-カ-大儲けの時代だったようで、気が遠くなります。マウス1万2千円、キーボード4万3千円、20インチのモニタ-が64万8千円だ。笑ってしまうというか。ちなみに私が初めて導入したMicroCADAMは1システム、この倍の価格でした。600万くらいだった記憶。下の見積もりはOS/2版ですが、600万はDOS版の値段です。当時のパソコンは非力ですから、OS/2は開くまで5分くらいかかったたと思います。インスト-ル用のフロッピ-が50枚以上ありました。当時のパソコンでは32ビットOSはOS/2だけでしたのでそれでも使う人が多かった。何故そんな思いOSを使用したか?

それはDOSではユーザ-メモリ-とかの制約でLanとかが組めなかった。

   あと続く   後日…………………………………

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